Daisuke Matsuzaki

画家 松崎大輔のブログ

宗教二世の自分として生きてきたこと

既に脱会していますが、僕はいわゆる宗教二世として育ってきました。
長文ですが誰かの参考になればとの思いで書きたいと思います。

幼い頃に母の意思で新興宗教に入会し、その後もその世界が当たり前だと思って生きてきて、大学も宗教系の所を卒業しました。
友達もできたし、自分達は正しいことをやっている価値観でずっといましたが、節々である組織内の人間関係のトラブルに悩まされることが多かったです。

家には仏壇があり小さい頃からお祈りをし、小学生の頃から地域の集会に行くことが当たり前の環境でした。悩みや困ったことがあると祈り、宗教の指導を読み、大人になれば年末にお布施をするという世界でした。

今思うとなぜ自分がこんなに生きづらさを感じるのか、この宗教と育った家庭環境で一本筋が通ってよく分かります。

ちなみに父は信者ではありませんが、幼少期から厳しく、僕に対して何をしても否定的な言動や恫喝が多く、小学校低学年頃から心を開けず恐怖の存在でしか無かったです。
そしてそれに対して母は「しょうがないじゃん」というような言動やどこか僕を揶揄する態度で、僕の感情に寄り添うことが出来ない人間でした。

今思うと親に認められたい一心で無理していたのですが、高校、大学と勉強や部活、バイトなどかなり頑張り成績も良かったのですが、大学卒業と同時に体調を崩し酷い鬱になってしましました。要するに燃え尽きてしまったのです。

両親から感情的な共感、心が通う愛着を感じることなく生きてしまうと、人間はいとも簡単に壊れてしまうのです。母は「宗教の活動さえやってればいい」という態度だったので、なおさら心のやり場が無かったです。母は子どもの心に向き合うことよりも、自分の体裁を異常に気にして宗教活動を優先する人間だったので、今思うと僕の家族に対する疎外感は子どもの頃からかなりありました。

当時はまだ宗教を信じていたので、信じて祈っていればきっと大丈夫と思ってました。事態が好転していくこともありましたが、それでもどこか自分の人生がうまくいかない虚しさは常にありました。貴重な20代の多くの時間を闘病に費やしてしまい、周りとも噛み合わなくなってしまった自分にも劣等感を感じるようになってました。

それに節々で感じる宗教の組織の「内輪」のノリ、一部の人たちを差別する言動にも違和感を感じるようになっていました。その宗教は特定の政党を支持しているのですが、それについても賛成できない箇所が徐々に増えていきました。

宗教に対して信じられなくなった大きな原因は、組織内で意見が対立した時に、いわゆるリーダーと言われる人たちから集団で嫌がらせをされたり、連絡網から外されるなどあからさまな差別を受けたことです。また大学の後輩からも明らかに馬鹿にする態度を何度も取られたことにより、もう関わる価値がないと判断しました。(確かに今思うと過去の自分は純粋でかなり一本気なところはありましたが)

こういった差別やハラスメントを度々受けて、自分の中でトラウマになってしまい人間不信になり、重ねて理解の無い両親との関係も更に自分を追い詰め、適応障害のようになってしまいました。実際こういった困難を抱えたまま無理をして生きてきたので、バイト等をしてもうまくいかず外で働くことに対しても、どんどん恐怖を感じるようになってしまいました。

自分としてはいろいろあったけど一生懸命生きてきたと思ってましたが、その後カウンセリングを受けたり、自分で虐待などの書籍を読む中で、自分の人間としての土台や、社会に適応して自立して生きていくための基礎がごっそり破壊されているのに気付き愕然としました。

30代半ばで宗教のおかしさに気付き脱会しましたが、母親は相変わらず「お前がおかしい」という態度だったので、母とも関わりを断ちました。母は僕が何かを成し遂げても「そんなの過信じゃない?」と言うような、どこか子どもを踏みつけて自分を保つような人格に異常がある人でした。宗教をやめた一番の理由は、この母のような人がやっている宗教は信用に値しないと思ったからです。

夜遅くまで会合があったり、時には遠方に行ったり、20代、30代と体を壊してまで自分が時間とお金を費やしてきた時間は何だったのだろうと本当に思います。失ってしまった時間は後悔してもし切れません。

宗教を辞めた頃と同時に僕が始めたことが「絵を描く」ことです。
絵は子どもの頃に唯一得意だったことで、これも自分の何かを取り戻したいという一心で始めました。実際絵を描き続けることによって、これまでの人生を客観的に見ることが出来るようになったことは事実です。

自分を冷静に見れるようになるほど、なんて自分は思考や価値観を制限された世界にいたのだろうと気付くばかりでした。それは現在進行形で続いています。絵を描き続けることによって、それまでいかに自分が異常な世界にいたのかと思い知らされると同時に、自分の認知や脳が急激に成長していく感覚も覚えてます。

いわゆる絵画、美術に「魂を解放する」何かがあるとしたら、自分の経験からこういうことかなと少し思うところがあります。

絵を描き始めて5年以上経ち、少しずつ評価や発表の機会も増えてきましたが、いまだに生活は苦しく、どうにもならない辛さや閉塞感を抱えながら生きているのは変わりません。どこにいても、どう足掻いても孤独になってしまう自分にも悩み続けてます。それでも、ここまで自分はよく生きてきたと思うところはあります。

宗教二世のこういった問題が社会で顕在化してきて、自分の人生を何とかしたいという思いと同時に、同じような境遇の人たちも理解され救われてほしいと本当に思います。宗教二世と家庭での心理的虐待の問題はほぼセットで起こります。そして子どもの頃に受けた心の傷はその後も人生を深く傷つけます。

ここまで生きて来れたのだから、きっと自分の人生は大丈夫と言い聞かせながら日々絵を描いてます。またその思いや作品が、誰かの生きる希望に繋がったらと思っています。

もっと良い作品を描けるようになって、多くの人に希望を与えられる存在になりたいです。

TENNOZ ART FESTIVAL2022の壁画アーティストに選出されました

今年10月に品川区天王洲で開催される、「TENNOZ ART FESTIVAL」で公開される公募による壁画を描くアーティストに選出されました。

 

PR TIMESの記事↓

prtimes.jp

 

壁画はモノレールの天王洲アイル駅近くにある「旧東品川清掃作業所」に描きます。

 

横9.6×縦5メートルの今までで一番大きな壁画です。

 

制作は来月いっぱい行い、10月10日にはイベントのオープニングセレモニーも行われます。

 

制作中も見学できるとのことなので、ぜひ見に来てください。9月1日から作業を始めて3週間くらいで完成の予定ですが、平日はだいたい10時〜18時くらいの時間帯で作業をしていると思います。

 

江戸時代にクジラが湾内に迷い込んだエピソードもある品川で、大きな白鯨の壁画を描きます。

よろしくお願いします。

 

TENNOZ ART FESTIVALウェブサイト↓

tennoz-art-festival.com

回復しました。

コロナ陽性の隔離期間が終わりました。症状は無く回復しました。
 
僕が経験した症状は熱、咳による苦しさ、喉の痛み、頭痛と頭のぼんやりした倦怠感でした。
熱は3日で治まり、病院で薬をもらって大人しく家で休みました。県が配給している食糧ももらえたので、食べ物も何とかなりました。
 
そして今回経験して、また社会の様子を見て分かったのは、陽性なのに当たり前のように検査しなかったり、熱や味覚がない症状があるのに人々が動き回る状況になっていること。
経済を回す名の下で、検査もせずに他人の生活や健康を踏み潰しまくっている人がいること。
 
死者や後遺症に苦しむ子どもがいるのに、これを仕方ないで済ましていいんですかね。どうにもならない状況なら社会や政府に声をあげましょうよ。
 
強い方が勝つなんていう発想はただの優生思想だし、他人の命を差別、否定するとても恥ずかしい人なのだと解釈します。こういう社会の倫理観の劣化が本当に恐ろしい。
 
社会は当たり前のように動いてますが、まだ感染の波は来るようなので、夏も自衛するしかないと思ってます。

久しぶりの発熱

昨日から急に体調を崩し、熱を出してしまいました。

熱がかなり上がり悪寒がしたので、もしかしたらコロナの可能性もあります。土日なので病院の発熱外来にも行けず、とりあえず解熱剤を飲んで休んでます。

いずれにしても、こういう症状はコロナ禍になってから多くの人が経験してきたものなので、無責任にノーマスクだの、コロナは風邪と言うのはあまりに酷いなと思います。

 

案の定、日本の感染者数も過去最高になってしまい、その中で経済を回すと言って検査もせずに動き回る人がいるので、本当に迷惑な話です。他人の命なんてどうでも良いのでしょうか。

 

社会の心も倫理も一気に壊れていくようで、ここで生活するのが怖くなります。

果たして自分は生きていけるのだろうかという日々です。

奈良美智さんにお会いしました

尊敬する日本を代表する美術家・奈良美智さんにお会いすることが出来ました。
奈良さんは僕がずっと憧れとしていた画家、美術家です。

6月某日、アイヌの音楽を聴けるイベントに行ったところ奈良さんがいらっしゃり、一緒にライブを見たりお話もすることが出来ました。

名刺を渡したところ、奈良さんは僕のことを認識して下さっていて(嬉しい泣)、「ああ、君か!」と言ってくれました。

僕は奈良さんがやっているネットラジオの部員でもあるので、僕がたまにコメントするのを見ててくれたのだと思います。また先日、僕のミニ絵を買って下さった方が写真をアップしてくれてて、それに奈良さんがいいねをしてくるなんてこともありました。

奈良さんとは以前にも音声アプリで少しお話したことがあり、その時は「大きな絵を描いた方がいい」とアドバイスもしてくれました。

今回は音楽の話をして、奈良さんも好きなeastern youthbloodthirsty butchersの話なんかをしました。

一緒にライブを見ていたテーブルでは、その場にいた方たちと和やかにお話をしたりしました。

ずっとネット等で見ていたままの、とても親切で優しい方でした。会場で踊りを披露していたアイヌや韓国の方達に、絵を描いてサービスをしたり、さすが奈良さんという場面ばかりでした。この人が一流である意味がよく分かりました。

そして奈良さんはガッツリ握手をして下さり、一緒に写真も撮ってくれました。もうこれは家宝写真です。

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奈良美智さんと僕

正直、最近ひどく調子を崩してしまい、今後の見通しが立たなくなってしまい、どうしようかとかなり悩んでいました。不本意なことが多すぎて、色々諦めそうになる日々でした。

この日があったから何かが解決した訳ではありませんが、ずっと憧れていた人と、しかもこんなに近くでお会いできて、そして自分のことも画家として認識してくれていて、とても有り難かったです。

今も厳しい状況は続き、社会の先行きもとても良いとは思えず辛い毎日ですが、何とか前を向いて生きていきたいです。

そしてまたいつか奈良さんにお会いして、今度は僕の絵を見てもらいたいです。奈良美智さん、本当にありがとうございました。

ミニ絵100個売れました

(2022年3月24日にNoteに書いた記事です)

ミニ絵売り上げ100個達成しました!

ミニ絵を描き始めてちょうど1年で達成できました🙇‍♂️
これまで買って下さった皆様、応援して下さった皆様本当にありがとうございます😊

このミニ絵はちょうど1年前の(いろいろあった)個展から描き始めたもので、アートをよりリーズナブルに手にしてもらいたい、気軽に絵を買うことに親しんでもらいたい思いで始めました。

また絵を描いて売る画家として安易にグッズ販売に流れないように、自分に課した「絵を売ること」から逃げない挑戦として続けてきました。売れ方にはまだ波がありますが、思った以上にうまく続いてます。引き続き応援して下さるとありがたいです。

まだまだ描き続けますので、今後もよろしくお願いします。
メルカリ⬇️
mercari.com/jp/u/784380076/

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NO WAR 0305

(2022年3月8日にNoteに書いた記事です)

先日勃発したロシアによるウクライナへの戦争に対して、バンド「GEZAN」が主催する反戦集会「NO WAR 0305」にプラカードデザインに参加しました。

連日報道される悲惨な状況に何かできないと悶々としていて、そのタイミングでのイベントだったので応募しました。

イベントは新宿南口の野外で行われ、コロナ禍の懸念はもちろんあったのですが、多くの人が殺される戦争に対しては有無を言わさず反対すべきだと思いました。

こういった正論を掲げることで冷笑されたり、売名行為だなどの仕打ちも受けますが、もうそう言ってられる状況ではないです。そしてこの状況に乗じて日本の政治家までも武器を持てだとか、核武装すべきだなどと言い出したのが本当に許せないです。

そして戦争でいつも犠牲になるのが、罪のない庶民、社会的に弱い人たち、人生の希望を奪われてしまう若者たちです。

イベントはGEZANをはじめとする多くのミュージシャン、特に3.11の頃から原発問題に声を上げていた人も多く参加しており、僕が参加しようと決定打になったのもこういった人たちがいたからです。

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コロナ禍でずっとライブらしいライブを見れなかったので、久しぶりに間近でミュージシャンを見れたのと、彼らの真摯なメッセージにはとても心を打たれました。

そして気を付けないといけないのが、彼らが救世主のように何とかしてくれると考えるのではなく、自分が声を上げてまず自分が何をできるかを考えること。

人類が起こした戦争、そして社会に渦巻く憎悪や分断に対する答えはもしかしたら無いのかもしれませんが、その答えの無い問題に向き合っていく、思う存分モヤモヤしながら考えることに意味があると思います。

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会場には数名ですが、僕が描いたプラカードを使ってくれている人もいました。みんなきっと同じようにもどかしさを感じながら、あの場にいたのをとても感じました。

とにかくウクライナでの戦禍が早く終わること、これ以上被害者が出ないこと、ロシア国内での混乱も収まること、そして日本がもう二度と戦争に起こさないように、一人の声は無力じゃないことを信じたいです。

とにかくこの社会にいると「それをやっても意味がない」「お前には力がない」「いいから黙れ」「お前なんかに何ができる」「いい年して何やってる」などと、個人を無力化させる圧力や嫌がらせに襲われます。

しかしそういった言葉は権力で民衆を支配したい側の呪いであり、民衆の連帯を恐れているからばら撒かれている言葉なのです。どんなに小さくても弱くても、個人には力がある、それが連帯すれば社会を変える力になる、そう思ってます。

きっとみんな何か思うことがあったり、言葉にできないもどかしさがあってあの場に来ていたはずです。この小さな一つ一つの思いがどうか報われてほしいです。

イベント詳細、寄付先について➡️ https://gezan.net/2022/03/2886/

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